2010年2月11日木曜日

千眼寺跡


薩英戦争本陣跡です。1862年8月におきた生麦事件は1863年7月の薩英戦争へと発展していったのです。島津久光・忠義父子はここ千眼寺に本陣を敷き総指揮を執りました。鶴丸城は海岸に近く危険なので、離れた西田村(現常盤町)に本陣を敷いたそうです。大久保利通・小松帯刀もここで指揮に当たっていました。大久保利通はイギリス艦隊を視察するために屋根に上り、雨上がりの瓦で滑って転んだらしい・・・。後に、薩摩とイギリスとの間に講和が結ばれています。
尚、千眼寺は廃仏毀釈により廃寺となりました。
ここの近くに西郷家の墓地があります。原良町の方へ歩くと小松帯刀別邸跡があります。

アクセス
市バス 西田小学校前下車 徒歩 人家の敷地内にある。

鹿児島市交通局HP


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2010年2月9日火曜日

座禅石


南林寺・福昌寺・誓光寺の住職を勤めた名僧 円了無参和尚のもとで座禅を組み修行しました。
仲間達と「近思録」を読み、座禅を組み、志を鍛えたのです。
無参和尚の教えを受けた若き志士達が精忠組を結成し、薩摩藩の中核として明治維新を成し遂げました。
精忠組の主要メンバー 西郷隆盛・大久保利通・有馬新七・海江田信義(有村俊斎)・伊地知貞馨(堀仲左衛門)・吉井友実(幸輔)・伊地知正治(竜右衛門)・税所篤(喜三左衛門)・大山綱良(格之助)・岩下方平(佐次右衛門)

アクセス
市バス 5番線 日当平線(城山・さつま団地経由) 座禅石公園下車徒歩数分


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2010年2月7日日曜日

加治屋町&甲突川


鹿児島中央駅→大久保利通誕生地→高麗橋→歴史ロード→維新ふるさと館→生い立ちの地→銅像→鹿児島中央駅と一周するコースがお勧めですが、お時間のある方は加治屋(かじや)町をぐる~りと散策してみませか。
加治屋町は明治維新の偉人を多く輩出した町です。
西郷隆盛・従道、大久保利通、伊地知正治、吉井友実、大山巌、村田新八、井上良馨、篠原国幹、山本権兵衛、東郷平八郎、黒木為楨 他 もの凄~い町なのです。
薩摩の偉人達を育んだ甲突(こうつき)川には5つの石橋がありました。江戸時代末期に岩永三五郎により架けられた五石橋は、平成5年の集中豪雨で2石橋が流失し、残った3石橋は文化遺産として石橋記念公園に移設されています。高麗橋西田橋玉江橋が残っています。この石橋の上にも薩摩の偉人達の足跡があるのです。
また、甲突川は桜の名所です。

坂本龍馬ゆかりの地鹿児島 にある加治屋町の地図をご覧ください。


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2010年2月4日木曜日

為政清明


鹿児島本線の鹿児島中央駅から鹿児島駅に向かうトンネルの上に刻まれています。
このトンネルの東側には西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」が刻まれているのです。
ここ新照院町は 大久保家の新築した家があった所です。琉球館の役宅に住んだ後、1863年の6月に転居しています。場所をご存知の方、ご一報いただけると嬉しいです。
アクセス
市バスで新照院(しんしょういん)または新上橋(しんかんばし)下車。鹿児島本線の高架が見えるので、鉄道沿いに城山の方へ歩きます。鉄道にかかった跨線橋から見ることが出来ます。

鹿児島市交通局HP


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大久保利通銅像


没後100年を記念して昭和54年に建立されました。中村晋也作。台座の高さは9.7m、銅像のみは4.3m。1878年に暗殺された時、一緒に亡くなった馬車夫と馬も銅像の後側の足元に彫られています。
大久保利通は藩閥意識を超えて新生日本の近代化に尽くした維新三傑の一人です。明治政府樹立後は政界の中心人物として版籍奉還・廃藩置県の実現につとめ、大蔵卿時代は地租改正の建議を行いました。欧米諸国視察後は内務省を設立し内務卿を兼務します。1878年に急死した時、ロンドンタイムスは「氏の死は日本全国の不幸である」と報じたそうです。座右の銘は「為政清明」。
この言葉が新照院のトンネルの上に刻まれています。また、「為政清明」の一幅は鹿児島市立美術館に収蔵されています。
アクセス
鹿児島中央駅から徒歩。また、生い立ちの地から高見橋の方へ徒歩数分。


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