★参考図書★
「桂小五郎 古川薫著 (文藝春秋発行)1984.11.25」(S本)
「伊藤博文伝 久米正雄著(改造社発行)S6.8.20」(T本)
S本P208から引用します。
(自由をとりもどした小五郎は、まず俊輔を使って、河辺から渡された斬奸状の写しを、ひそかに攘夷志士の間にばら撒いた。これは「成破の盟約」に従う最初の行動といえた。)
とあります。
坂下門外の変(文久二年一月)、水戸浪士切腹事件を譴責処分(三月十八日)後の事です。この”ひそかに攘夷志士の間にばら撒いた”が気になります。京都に"ひそかに行った"と推察できるのでは?
T本P37から引用します。
(文久二年四月、幕府から赦免された翌月、桂小五郎と俊輔とは京都に上った。)
とあります。
ちなみに五月にまた上京しているので、三月十八日から四月末の間、"ひそかに"京都まで往復したのでは?
斬奸状の写しを西郷どんに届けたのでしょうか???
そんなわけで、伊藤博文の可能性大なのです。
西郷群像写真の左から二人目は
島津忠済でしょうか。伊藤博文でしょうか。
いつのことになるかわかりませんが・・・・・・・・・・・・
この件に関した資料がみつかりましたら、このブログに掲載したいと思います。
他の5人はオバチャン的には確定しております。
西郷群像写真を通して歴史家の方々のご苦労を実感致しました。
拙い文章に長い間お付き合いいただき有難うございました。 m(..)m
☆ T本は愛知県立図書館の相談員の方にご協力いただきました。
心からお礼申し上げます。m(..)m
思うに、図書館の蔵書検索のシステムは実にすばらしい!!!!!
オバチャンごときが こんなブログを書けるのも、
インターネットで蔵書検索が出来るからなのです。
2011年1月23日日曜日
島津三兄弟 → 島津二兄弟と伊藤博文 かも・・カモ・・鴨・・???
ここにきて、もしかしたら・・島津忠済と思われる人物は伊藤博文かも・・という疑問が生まれたのです。
(~--)/(^^;) なんでやねん!
★参考図書★
「大久保利通と明治維新 佐々木克著 (吉川弘文館発行)1998.8.1」(Q本)
「伊藤博文 伊藤之雄著 (講談社発行)2010.2.9」(R本)
「大西郷謎の顔 芳 即正編著 (著作社発行)1989.12」(B本)
Q本のP140の写真に伊藤博文が写っていました。
ん?この頭とおでこの形、西郷群像写真の左から二人目に似てる!! また、隣の男性より背が低い。
R本のP29に伊藤博文の身長は五尺三寸(約160.6センチ)とある。
また、第二部飛翔編TOPにある 座っている写真も頭・おでこの形が似ているワ~と思ったのです。
B本を、まためくってみました。
P17から引用します。(大塚安子氏頁)
(写真の出所は、伊藤博文その人から博文が日清戦争の講和条約締結のため李鴻章と会談する直前、公の秘書大津氏に託したものであるという来歴が付いている・・)
その説明によると左から二人目が伊藤博文になっているのです。
そんなわけで・・
西郷群像写真の左から二人目の人物は
島津忠済なのか・・伊藤博文なのか・・
伊藤博文の足跡に続く
(~--)/(^^;) なんでやねん!
★参考図書★
「大久保利通と明治維新 佐々木克著 (吉川弘文館発行)1998.8.1」(Q本)
「伊藤博文 伊藤之雄著 (講談社発行)2010.2.9」(R本)
「大西郷謎の顔 芳 即正編著 (著作社発行)1989.12」(B本)
Q本のP140の写真に伊藤博文が写っていました。
ん?この頭とおでこの形、西郷群像写真の左から二人目に似てる!! また、隣の男性より背が低い。
R本のP29に伊藤博文の身長は五尺三寸(約160.6センチ)とある。
また、第二部飛翔編TOPにある 座っている写真も頭・おでこの形が似ているワ~と思ったのです。
B本を、まためくってみました。
P17から引用します。(大塚安子氏頁)
(写真の出所は、伊藤博文その人から博文が日清戦争の講和条約締結のため李鴻章と会談する直前、公の秘書大津氏に託したものであるという来歴が付いている・・)
その説明によると左から二人目が伊藤博文になっているのです。
そんなわけで・・
西郷群像写真の左から二人目の人物は
島津忠済なのか・・伊藤博文なのか・・
伊藤博文の足跡に続く
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