2021年12月20日月曜日

 西郷どん、みーつけた♪ 追加資料  その1

9年ぶりの更新になりました。ブログというより、備忘録です。


★1.

西郷群像写真の西郷どんと言われている人を、島津の医師・小田原瑞哿(可)だという説がありますが、小田原瑞哿(可)さんは西郷どんと間違われたという資料がありました。


☆薩摩医人群像 森重孝著 春苑堂書店発行 昭和51年発行☆


p232から引用します。

「小田原瑞可(1823-1888)は文政三年生まれ、通称は一、諱は時維、医者となり、はじめ清可、瑞可と改め、島津久光の三男珍彦の侍医となり、久光が亡くなられた翌年、明治21年に65才のとき死亡、重富の紹隆寺墓地に葬られた。丸顔で肥満型で、写真では西郷隆盛とまちがえられていた」

とある。

隣のページに西郷群像写真が掲載されていて、島津三兄弟と小田原瑞可と説明には書かれています。

小田原瑞可が西郷どんに間違われたのか、西郷どんが小田原瑞可に間違われたのか???

卵が先か、にわとりが先か、みたいな感じでありますが・・・

私の説では、島津三兄弟ではないという結論であるからして、小田原瑞可ではないということになるのであ~る。

西郷どんのチャームポイントは「耳・た・ぶ」と「大きな目」でありまする。

私的には西郷どんの可能性が高まりつつあります。


★2.

写真のスタジオバックについて


☆「写真術師 上野彦馬 八幡政男著 (マルジュ社発行)」(E本)☆


1862年の上野彦馬開業当初のスタジオバックについて書かれています。

p103から引用します。

「看板だけは麗麗しいが、写場は地面にむしろを敷いただけの屋内庭園だ。そこでの露天撮影である。白木綿の日よけで光線をかげんし、背景はねずみ色の幕をたれ、その前面に、大浦の外人居留地から買い入れたロクロ細工の手すりみたいな古欄干を配置したものに過ぎない。」


とすると、大阪薩摩屋敷の屋内庭園にこのようなスタジオバックをつくったのでは と想像できますね。屋内庭園で早朝の光で撮影できますね。


★3.

平野國臣について


☆西郷隆盛の遺書 伴野朗著 新潮社 ☆


西郷群像写真について書かれているページです。

p52から引用します。

「平野國臣の76回忌の時に見つかり話題になった6人の写真だろ」


と書かれています。

前後省略しますが、

西郷群像写真は平野國臣に関係している写真ではと推測できますね。


★4.

大久保利通が1862年4月5日に大阪にいたという資料がありました。


☆西郷隆盛のすべて 濱田尚友著 久保書店発行☆


p183から引用します。

「大久保は小松帯刀、中山尚之介とともに3月16日鹿児島を発ち、3月26日に下関についた。ところが隆盛がいない。心配になっていろいろ探っているうち、久光が激怒していることを確かめた。そこで久光に謁して許しを受け、海上六日やっと4月5日大阪について、かけつけたという。」


大久保は4月5日に大阪にいたのである。6日早朝 、写真を撮ることは可能なんですね。


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2021年12月 コロナ禍で読書する時間が増えました。

西郷どん関係の資料・史料を探してみたいと思います。

資料はかってに引用させていただいております。

間違い・不都合などがございましたら、お知らせいただけると幸いです。

削除・訂正いたします。