本日は、西郷群像写真を撮影したと考えられる文久2年(1862年)4月6日から、150年目にあたる節目の年、オバチャン的記念すべき日であります。
オバチャン的にはこの写真が 西郷どん唯一の写真だと推定しているのですが、いまいち資料不足かも・・・。
そこで、身長から考えてみることにしました。
伊藤博文 天保12年(1841年)9月2日生 1862年4月 数え年22才
島津忠欽 弘化2年(1845年)11月23日生 1862年4月 数え年18才
島津忠済 安政2年(1855年)3月9日生 1862年4月 数え年8才
ネット調べによると、
現在の小学二年生男子(満7-8才)の平均身長は120-130㎝ぐらいでしょうか。
そして、高校三年生男子(満17-18才)は170㎝ぐらいでしょうか
現在の発育状態では10年間で40-50㎝の身長差があります。
忠欽さんと忠済さんは10才の年齢差です。
写真の場合、10年でこの身長差はありえないと考えられます。
まさか・・高下駄を履いていたとは思えませんが。
幕末当時の栄養状態で想像するに
身長は、少なくとも頭ひとつぐらいの差があっていいと思われるのです。
身長から推測すると、左から二人目は”島津忠済さんではない”と考えられます。
幕末当時の交通事情で、数え年8才の子供に長期遠征は無理かも。
珍彦・忠欽さんと忠済さんは異母兄弟です。親密さはどの程度でしょうか。
そして、Wikipediaの晩年の伊藤博文公の写真の頭の形とおでこが西郷群像写真の左から二人目にそっくりくり~と思えるのです。
そんなわけで・・・オバチャン的150年目の推測は
左から二人目は伊藤俊輔(博文)になるのです。 (^.^)