2010年8月10日火曜日

写真を写したのは誰ダ???  その3

幕末小説から推察してみました。

★参考図書★
「大西郷謎の顔 芳 即正編著 (著作社発行)1989.12」(B本)
「寺田屋騒動 海音寺潮五郎著 (文藝春秋発行)2007.12」(J本)
「寺田屋お登勢日記 徳永信一郎 (新人物往来社)1973.2」(K本)

B本P117に
明治三十五年発行の「東洋日の出新聞」に、上野彦馬がこれまでに撮影した著名人に西郷隆盛の名を挙げていると書かれています。(日下藤吾氏の頁)
上野彦馬は西郷どんを撮影しているのです。

J本P256-7にある大久保利通の足跡
「三月三十日朝十時頃下関出帆 四月五日夜八時頃大坂着 大坂の藩の定宿寅屋一泊 六日早朝大坂藩邸へ行く 十時頃三十石船に乗る」
この足跡から考えるに、当時の照明では4月6日早朝から十時の間に撮影されたと考えられます。
大坂薩摩屋敷は上屋敷・中屋敷・下屋敷とあったようです。そのいずれかに臨時の写場をつくることも可能ですね。

K本P237から引用します。
(川田瑞穂という人が、彼女(お龍さん)を訪ねて写真を撮りたいというと「西郷さんとの申し合わせで、一生写真をとらないことにしている」といったが、「西郷さんの写真はありますよ」というと、それではということで一枚撮らせてくれたという)
西郷さんの写真があると書かれています。

そぎゃん、こぎゃんで・・・
★オバチャンの独断と偏見のかって気ままな推察★
1862年4月6日早朝から十時までの間、大坂薩摩屋敷(上・中・下屋敷のいずれか)に上野彦馬が臨時の写場を設けて"西郷群像写真"を撮影したのではありますまいか~。
当時高価な人物専用のカメラを持っていたということ、1862年に大坂にいた可能性が考えられるということ、本人が西郷どんを写したと新聞に書かれていることなどから推察しました。

では、なぜに内田九一の原板倉庫に"西郷群像写真"の原板があったのでしょうか。
参考資料はありません。独断と偏見の推察です。
3年後の1865年に、弟幸馬・内田九一が大坂天満に開業するにあたり、保管しておいた背景の置物・手置き台・写真原板などを受け継いでもらうべく、開業祝いにプレゼントされたのではありますまいか~?

このように考えると諸々の謎が解けませんか

歴ババ気分のオバチャンの推察、信じる・信じないは自己責任ぜよ♪


次回の「島津兄弟が大坂屋敷にいたという資料を探して」ですが、
しばらく資料が見つかりそうにありませぬ。

あれこれ調べていると龍馬の写真も目につくようになりました。
そこで、脱線して「龍馬の写真について」簡単に調べて見たいと思います。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」 いよいよ薩長同盟ですね。
因みに、予告編によると上野彦馬は8/22放送に登場するそうです。